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大阪地方裁判所 昭和29年(ワ)1498号 判決

原告 御嶽教白光教会

右代表者代表役員 松山廣蔵

右訴訟代理人弁護士 別城遺一

被告 亡岡村作次郎訴訟承継人岡村浅太郎の訴訟承継人 岡村てる〈ほか八名〉

右被告ら訴訟代理人弁護士 笠置省三

右訴訟復代理人弁護士 倉橋春雄

主文

被告らは原告に対し、別紙目録記載の土地建物につき、所有権移転登記手続をせよ。

訴訟費用は被告らの負担とする。

事実

第一、当事者の求めた裁判

一、原告は主文と同趣旨の判決ならびに仮執行の宣言を求めた。

二、被告らは、本案前の申立として「本件訴を却下する。」との判決を、本案の申立として「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決をそれぞれ求めた。

第二、当事者の主張

(請求原因)

一、別紙目録(一)ないし(三)記載の土地建物(以下本件土地建物という)は、宗教法人である原告が後記(三)のような経緯でその所有権を取得したものであり、現にこれを拝殿、事務所およびその敷地等として使用しているものである。

(一)、原告の代表役員である訴外松山廣蔵は大正八年ごろ訴外亡寺内繁尾と入夫婚姻をなし、大正一〇年二月一六日入籍し(ただし大正一五年一月二八日協議離婚の届出)、大正一一年秋以来有志の協力のもとに御嶽大神を主神として御嶽教の教義をひろめるため、御嶽教三日月教会所属の「白光講」を組織し、信徒を集めてその布教に努め、信徒総代制を設け各講員からは毎月所定の会費を徴収していた。

(二)、当初「白光講」の主管者は松山であったが、昭和三年ごろその主管者を同人より妻である寺内に変更し、その後も夫婦協力して右布教を続けてきた。

(三)、(1)、別紙目録(一)記載の土地は、「白光講」が昭和六年七月一四日他から買受けてその所有権を取得し、同日信徒たる訴外今浜イクの名義で所有権移転登記を受け、その後昭和九年八月一四日寺内の所有名義に変更した。

(2)、同目録(二)記載の土地は、「白光講」が昭和一二年一二月一六日訴外吉川偕蔵から代金二、五〇〇円で買受けてその所有権を取得し、同日寺内名義で所有権移転登記を受けた。

(3)、同目録(三)記載の建物は、「白光講」の信徒役員である訴外由良芳造において、その妻である訴外白国なかの病気が全快したのは「白光講」の主神たる御嶽教を帰依していたことに由来するものであるとしてこれに奉献すべく、昭和三年七月一六日訴外中川勝之助から右建物を買受けて「白光講」に現物寄進し、「白光講」は前記中川から寺内名義で右建物の所有権移転登記手続を受け、ついで昭和四年一月三一日前記由良の所有名義に、昭和九年二月一九日信徒役員の更迭によって訴外今浜徳蔵、同藪内又吉の両名の所有名義に、さらに同年八月四日寺内の所有名義にそれぞれ変更したものである。

(四)、以上のとおり、本件土地建物は「白光講」の所有に属していたが、「白光講」は当時法人でなかったため(民法三四条にいう営利を目的としない宗教に関する社団にあたる)、便宜信徒役員等の所有名義にしていたものである。

(五)、宗教法人令(昭和二〇年勅令七一九号)の施行にともなって、「石切白光教会」が設立されたので、「白講教」の主管者であった寺内は信徒総代の同意を得て「石切白光教会」に対し「白光講」の所有にかかる本件土地建物を譲渡し、その所有権を移転したものである。

(六)、宗教法人法(昭和二六年法律一二六号)の施行にともなって、原告が設立され、原告は同法附則一八条により「石切白光教会」の所有にかかる本件土地建物の所有権を承継取得し、現にこれを所有しているものである。

二、(一)、しかるに寺内は昭和二八年六月二一日死亡し、同人の弟である訴訟承継前の被告亡岡村作次郎は同年九月三日本件土地建物につき相続を原因とする所有権移転登記を経由している。

(二)、岡村作次郎は昭和四三年六月二日死亡したため、同人の長男である訴訟承継前の被告亡岡村浅太郎と二男である被告中島幸夫の両名が相続によって右作次郎の負担していた義務を承継し、ついで右浅太郎は昭和四八年五月一八日死亡したため、同人の妻である被告岡村てる、長女である被告井上禮子、二女である被告岡村淳子、長男である被告岡村宏景、二男である被告岡村明、三男である被告岡村優、四男である被告岡村朝宏、三女である被告岡村美樹子の八名が相続によって右浅太郎の負担していた義務を承継した。

三、(一)、仮りに、以上のような原告の本件土地建物の所有権取得原因事実が認められないとしても、「白光講」は前記一、(三)の(1)ないし(3)の売買もしくは現物寄進によって本件土地建物の所有権を取得したものと信用し、それ以来所有の意思をもって、「白光講」「石切白光教会」および原告教会において引続き本件土地建物の占有をなし、また「白光講」が右のように本件土地建物の所有権を取得したものと信用したことにつき過失はなかったから、原告代表者である前記松山がその就任登記を了した昭和三一年三月二九日から起算して一〇年の期間経過により、民法一六二条二項の時効が完成し、これによって原告は本件土地建物の所有権を取得した。

(二)、仮りに右(一)の主張が理由なく、同条同項の時効取得が認められないとしても、「白光講」が前記のとおり売買もしくは現物寄進を受けたときから起算して二〇年の期間経過により、同条一項の時効が完成し、これによって「石切白光教会」もしくは原告は本件土地建物の所有権を取得した。

四、よって、原告は本件土地建物に対する所有権にもとづいて被告らに対し、真正な登記名義の回復を原因とする所有権移転登記手続をなすべきことを求める。

(被告らの本案前の主張)

訴外津田清七は適法に原告教会の代表役員および責任役員(以下代表役員等という)の代務者に選任せられ原告教会を代表する権限があるものとして昭和二九年三月二六日本訴を提起し、その後訴外松山廣蔵は適法に代表役員等に選任せられたものとして昭和三一年三月二三日右役員に就任し、原告教会を代表する権限があるものとして昭和三二年三月一二日付け書面により、原告代表者を津田より松山に変更する旨の申立てをなし、それ以後原告代表者として本件訴訟手続を追行しているが、津田および松山はいずれもつぎのような事由により原告教会を代表する権限がないから本件訴は不適法であるといわなければならない。

なお、被告は原告代表者を津田より松山に変更するについては異議がある。

一、(一)、松山廣蔵は大正一五年一月二八日寺内繁尾と離婚後本件建物から約一〇〇メートル離れた建物で「御嶽教石切教会」(以下単に石切教会ともいう)という名称のもとに、寺内を主管者とする「白光講」「石切白光教会」および原告教会と同種の教会所を設置していたが、たまたま寺内が昭和二八年六月二一日に死亡したことを知るや、石切教会の信徒であって原告教会の信徒ではない津田と相謀り、寺内の所有にかかる本件土地建物を取得し、原告教会の運営を自己の手中に収めてこれを乗取ることを企て、同年七月一九日訴外奥仁志の名義で信徒に対して議事事項を明示し、同月二六日原告教会神殿において信徒総会を開催する旨公告通知しながら、右のとおり定められた同月二六日には信徒総会を開催することなく、たまたま同年八月三日に寺内の法事が催され、石切教会の信徒と、これに気脈を通ずる原告教会の一部信徒とを合わせて一九名が右法事の機会を利用して集会を開き原告教会の今後の運営方法について話合いをしたことをもって信徒総会が開催されたものとなし、その際寺内を主管者としていた原告教会と松山を主管者としていた石切教会とを合併して新たに石切白光教会とし、その主管者を松山となす旨および寺内個人の所有にかかる本件土地建物を同人の意思にもとづくものと称して合併後の新教会の所有とする旨それぞれ議決されたものと仮装し、右のように仮装架空の事実があったかも真実存在していたかのような内容虚偽の書類を作成している。

当時訴外池上一恵、同志磨村房一が原告教会の責任役員として、訴外山根庄七、同月岡清、同野村常作が原告教会の信徒総代としてそれぞれ就任していたので、寺内の死亡にともなう代表役員等の代務者選任のために信徒総代会を開催することその他原告教会の重要事項を審議決定するうえで、格別の支障がなかったのにかかわらず、松山、津田は通謀のうえ、同年八月三日の前記集会において、ほしいままに山根、月岡、野村を解任して新たに信徒総代として訴外関幸太郎、同嶋吉八三郎、同野村常作(ただし再任)を選任する旨の議決がなされたものとなし、なんらの権限のない右関らをして津田を代表役員等の代務者に推薦する旨の書面を作成させるなどして必要な書類を整備したうえ、御嶽教管長に右代務者の任命申請手続をしたものである。津田は適法に代表役員等の代務者に任命されたものとして、同年八月一七日右代務者に就任し、同月二六日責任役員である前記池上、志磨村を解任し、その後任者として松山の親族である訴外松山梅太郎、同米田冨太郎を選任したものである。

(二)、右のとおり各信徒に対しては昭和二八年七月二六日に信徒総会を開催する旨通知しながら、同日これを開催することなく、各信徒に対して適法な通知をしない同年八月三日に、その一部の信徒一九名が寺内の法事のために参集していた機会を利用し、右信徒により話合いがもたれたとしても、これによって信徒総会が開催されたものとなすに由なく、したがってその際の議決は信徒総会でなされた有効なものということはできない。

また前記関らは原告教会の信徒でないから、同人らが信徒総会で選任されたとしても、権限がある信徒総代になる理由はない。

そうすると、津田は、権限がある信徒総代によって代表役員等の代務者に推薦選任され、原告教会の代務者として、これを代表する権限があるものとなすことを得ない。

二、(一)、(1)、御嶽教教憲六三条四項によると「教会長が欠けた場合に就任した代務者は、その就任の日から一年以内に後任教会長の候補者を選定し、総代会の推薦状に本人の就任承諾書を添えて、その任命を管長に申請しなければならない。」旨規定されている。そうすると、仮りに前記津田が代表役員等の代務者として、前記関ら三名が信徒総代としてそれぞれ適法に選任されたとしても、代務者である津田および信徒総代である関ら三名が、その就任後、後任代表役員等の推薦選任を放置し、三年に近い長年月を経過した後に、松山を右役員等に推薦選任することは同条同項の規定に違反して無効である。

(2)、また原告教会規則七条一項によると「代表役員は、御嶽教の規程たる教憲により、この教会の教会長の職にある者をもって充てる。」旨規定されているところ、松山は昭和三一年三月二三日当時原告教会の教会長ではなく、したがって代表役員等に選任される資格がないから、松山に対する選任は同条同項に違反して無効である。

(二)、寺内は前記のとおり昭和二八年六月二一日死亡したが、その当時責任役員も信徒総代も存在し、原告教会の重要事項の決定について格別の支障がなかったにもかかわらず、松山は、原告教会とともに、寺内個人の所有財産を自己の手中に収めようと考え、真実適法な信徒総会を開催していないのにかかわらず、あたかもこれを開催し、新たに信徒総代を選任してその信徒総代により津田を代務者として推薦選任したもののように仮装したうえ、自らが「石切教会」の主管者の地位にあるのに原告教会の代表役員等に選任され、これに就任することは、原告教会と、その利害が相反して無効である。

(三)、以上のとおり、松山の選任は無効であって、松山には原告教会を代表する権限がないから、松山が本件訴訟手続を追行することは許されない。

三、なお、御嶽教教憲六四条、御嶽教規則三八条によると、原告教会の代表役員、責任役員およびその代務者はいずれも原告教会の規則で定めるところに従って選定し、御嶽教管長が任命する旨規定されているところ、その趣旨は、右役員等の選任権は原告教会にあって、御嶽教管長にはなく、御嶽教管長は単にこれを宣示するにすぎないことをいうものである。そうすると、仮りに御嶽教管長の宣示があったとしても、その前提である総代会による代務者津田の選任、右代務者による代表役員松山の推薦選任が不存在または無効である以上、御嶽教管長の宣示はなんらその効力を生ずるものではない。

四、以上のとおり、本件訴は、原告教会を代表する権限のない代務者津田によって提起され、その後原告教会を代表する権限のない代表役員松山によって追行されているのであるから、不適法として却下さるべきものである。

≪中略≫

(本案前の主張に対する原告の答弁)

一、代表役員等である寺内は昭和二八年六月二一日死亡し、その当時における原告教会の責任役員は池上一恵、志磨村房一であり、その信徒総代は山根庄七、月岡清、野村常作であったが、代表役員等が死亡したため、原告教会規則一一条一号によってその代務者を選任する必要に迫られ、またそのころ前記信徒総代と責任役員とのなかに互いに相謀って原告教会を独占し、その財産を処分しようとする動きがあったので、一部の有志信徒からの要請にもとづいて原告教会の信徒の総意をもってこれを決すべく、昭和二八年八月三日信徒総会を開催し、同総会において、山根ら三名の信徒総代を更迭して新たに関幸太郎、嶋吉八三郎、野村常作(再任)を選任し、かつ池上ら両名を解任して松山梅太郎、米田冨太郎を責任役員として、津田清七を代表役員等の代務者としてそれぞれ御嶽教管長に推薦する旨の議決がなされた。そして同日右関ら三名により開催された信徒総代会においても、右信徒総会における議決の趣旨をくんで、右各被推薦者を御嶽教管長に推薦する旨の決定がなされ、大阪府教区庁を経て御嶽教管長に申請された結果、御嶽教管長は御嶽教教憲六四条によって同月二三日津田清七を代表役員等の代務者に、同月二六日松山梅太郎、米田冨太郎を責任役員にそれぞれ任命し、同年九月三日その就任登記手続がなされたものである。

二、代表役員等の代務者である津田は、御嶽教教憲六三条四項により、その就任の日から一年以内に後任代表役員等の候補者を選定し、その任命を御嶽教管長に申請しなければならないところ、津田の就任当時原告教会の基本財産である本件土地建物の帰属をめぐって紛争を生じ、その後本件訴訟が係属するにいたったため荏苒時日を経過していたが、昭和三一年三月一〇日信徒総代会と責任役員会とを開催し、代表役員等選定の件を付議したところ、満場一致をもって松山廣蔵を代表役員等に選定し、これを御嶽教管長に推薦する旨議決され、これが推薦にもとづいて、御嶽教管長は御嶽教教憲六四条により同月二五日松山廣蔵を代表役員に任命し、同月二九日その就任登記手続がなされたものである。

三、昭和二八年八月三日になされた信徒総会の開催、同総会でなされた信徒総代を更迭する旨の議決、同総会と総代会とでなされた代表役員等の代務者に津田を選定しこれを御嶽教管長に推薦する旨の議決、昭和三一年三月一〇日になされた信徒総代会および責任役員会の開催、右総代会および役員会でなされた代表役員に松山を選定しこれを御嶽教管長に推薦する旨の議決はいずれも御嶽教教憲、御嶽教規則、原告教会規則にもとづいてなされた適法なものであるが、仮りに代表役員等の代務者として津田清七を、代表役員等として松山廣蔵をそれぞれ選定しこれを御嶽教管長に推薦する手続に法律上の瑕疵があったとしても、代表役員等の代務者および代表役員等は、御嶽教管長が御嶽教教憲六四条によりこれを任命しうる権限を有しているのであるから、御嶽教管長が右権限にもとづいてなした津田および松山に対する任命は有効なものであり、したがって津田および松山は原告教会を代表する権限があるものというべきである。

第三、当事者の証拠≪省略≫

理由

第一、本案前の申立について

一、(一)、≪証拠省略≫を総合すると、つぎの(1)ないし(5)の各事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

(1)、寺内繁尾は、原告教会が昭和二七年一二月二五日に設立されて以来、原告教会の代表役員等をしていたが、昭和二八年六月二一日死亡し、松山廣蔵は大正一〇年二月一六日寺内と入夫婚姻をしたが、大正一五年一月二八日協議離婚をし(ただし右離婚後も寺内と同棲)、昭和二四年ごろ以来本件建物から約一〇〇メートル離れた建物で、原告教会と同様御嶽大神を奉斎神とし「石切教会」という教会所を設置していた。

(2)、代表役員等である寺内が右のとおり昭和二八年六月二一日死亡したため、御嶽教教憲六三条一項、二〇条一項一号、原告教会規則一一条一号によって速やかに代表役員等の代務者を置くべきことになっており、当時の原告教会の責任役員は池上一恵、志磨村房一の両名であり、(責任役員三名のうち寺内は死亡)、信徒総代は山根庄七、月岡清、野村常作の三名であり、したがって右三名の総代が御嶽教教憲六三条二項にもとづいて総代会を開催し代表役員等の代務者を選定し、右三名の連署した書面をもって、代務者の任命を御嶽教管長に申請すべきことになっていた。

(3)、しかし責任役員である池上一恵、志磨村房一は代務者として高森菊一を、松山廣蔵は代務者として津田清七をそれぞれ総代会で選定すべきことを主張し、右双方の間で代務者の選定について対立し、さらにまた寺内の相続人である岡村作次郎より、原告教会の拝殿およびその敷地等に使用されている本件土地建物は相続によって取得し自己の所有であると主張してきたため、原告教会の信徒、役員の間においても右代務者の選定および本件土地建物の帰属者をめぐって紛議を生ずるにいたった。かくて原告教会の信徒である奥仁志は、このような事態を憂慮し御嶽教大阪府教区庁長である大橋義雄の意見を聴したうえ、原告教会の信徒の総意をもって、すなわち信徒総会を開催してこれを決し、事態を収拾することとし、信徒総会発起人会総代として同年七月一九日付け書面により原告教会の信徒その他の利害関係人に対し、信徒総会の開催日時を同月二六日午後五時、その開催場所を原告教会拝殿、その議案を、(イ)、原告教会の後任教会長は、その教会の由緒沿革を調査したうえ、信徒総代会において適任者を定め推薦すること、(ロ)、原告教会長故寺内繁尾名義の財産は、その本人の意思と信徒総代会の決議にもとづき原告教会の名義とすること、(ハ)、故寺内繁尾の命を原告教会の開祖とすること、(ニ)、信徒総代を改選することと定めて公告し通知したが、信徒総会は予定どおり同月二六日午後五時には開催されないで(右開催されなかった理由については、本件において、これを肯認するに足りる証拠はない)、寺内の法事が催される同年八月三日午後五時に延期された。

(4)、同年八月三日午後五時の信徒総会に出席したのは、原告教会の信徒約二〇〇名のうち一九名にすぎなかったが、その余の信徒は、高森を代務者に選定すべきことを主張する志磨村ら若干名を除いて、その大部分が松山もしくは津田に対し、議決権の行使を委任する旨の委任状を提出し、これらの者と出席者とを合わせると二〇〇名に近く、信徒総会開催についての定足数をみたしていたので、津田が議長となって信徒総会を開催し、同年七月一九日付け書面をもって通知していた前記各議案を審議し、信徒の大多数をもって、異議なくこれを可決承認するとともに、信徒総代として新たに原告教会の信徒のなかから関幸太郎、嶋吉八三郎、野村常作(ただし再任)の三名を選任した。

(5)、右関ら三名は直ちに信徒総代会を開催し、代表役員等の代務者に原告教会の信徒である津田を選定し、御嶽教教憲六三条三項にもとづき、右関ら三名が連署した同年八月三日付け書面により、御嶽教大阪府教区庁長を経て御嶽教管長に津田の任命を申請し、御嶽教管長は同月二三日付辞令をもって津田を右代務者に任命し、同年九月三日その就任登記が経由された。

(二)、右認定の事実によると、信徒総会は当初予定されていた昭和二八年七月二六日ではなく、同年八月三日に延期開催されたのであるが、同総会において、前記関ら三名は、原告教会の信徒の大多数の意思をもって、その総代に選任されたものであり、かつ右三名は直ちに総代会を開いて原告教会の信徒である津田を代表役員等の代務者に選定し、同人の任命を御嶽教管長に申請し、同管長より、その任命を受けたのであるから、同人は代表役員等の代務者として原告教会規則一三条、九条により原告教会を代表しうる権限があるものというべきである。

二、(一)、(1)、≪証拠省略≫を総合すると、代表役員等の代務者である津田は関ら三名の総代会の議を経て昭和三一年三月一〇日代表役員等の候補者として松山を選定し、御嶽教教憲六三条四項により、関ら三名とともに連署した同日付け書面をもって、御嶽教大阪府教区庁長を経て御嶽教管長に松山の任命を申請し、松山は同月二五日御嶽教管長より代表役員等に任命されて就任し、同月二九日その就任登記手続を了したことが認められ、これに反する証拠はない。

(2)、右認定の事実によると、松山は御嶽教教憲六三条四項、第六四条、同規則三八条にもとづいて、昭和三一年三月一〇日代表役員等の代務者である津田から代表役員等の候補者として選定を受け、同月二五日御嶽教管長から代表役員等に任命されたのであるから、原告教会を代表する権限があるものというべきである。

(二)、松山に対する選定任命に被告ら主張のような無効事由があるか否かについて考える。

(1)、津田は昭和二八年八月二三日代表役員等の代務者に任命され就任したのであるから、御嶽教教憲六三条四項により、同日から起算して一年以内に代表役員等の候補者を選定し、その任命を御嶽教管長に申請しなければならないのにかかわらず、右就任後二年半余を経過した昭和三一年三月一〇日にいたってようやく松山を選定し、同日付け書面をもって同人の任命を同管長に申請したことは前認定のとおりである。しかし同条同項の規定の趣旨をみるに、代務者なる役職は、代表役員等が死亡辞任等をしてその職務を執るものがおらず、または病気旅行等をしてその職務を執ることができない場合に、一時的暫定的に設けられるものであり、したがって可及的短期間内に代務者なる役職を解消せしめるのが適当であるという見地から、代務者に対しその就任後一年以内に代表役員等の選定および同管長に対する申請手続をなすべきことを命じたものであって、要するに同条同項の規定は代務者に対する訓示規定であり、代務者が就任して一年後に代表役員等の選定および同管長に対する申請手続をしたことから、直ちにこれを無効たらしめる効力規定ではないと解するのが相当である。そうすると、津田か松山についてなした選定および同管長に対する申請手続が、同条同項に定める一年以内になされなかったとしても、これによって直ちに被告ら主張のように無効なものであるということはできない。

(2)、原告教会規則七条一項によると、原告教会の代表役員は御嶽教の規程たる教憲により原告教会の教会長の職にある者をもって充てる旨規定されているところ、松山は原告教会の教会長でないのにかかわらず、原告教会の代表役員に選定任命されていることは被告ら主張のとおりである。しかし寺内の死亡によって当時原告教会の教会長を欠缺していたことは前認定のとおりであり、また同条同項の規定は、原告教会の教会長が任命され存在している場合にのみ、右教会長を代表役員に選定任命すべきことを定めたものであって、右教会長を欠缺している場合には適用さるべき余地がないから、原告教会の教会長でない松山が原告教会の代表役員に選定任命されたとしても、この点で被告ら主張のように同条同項の規定に違反しているものということはできない。

(3)、代表役員である寺内の死亡後、その代務者の選定任命とか、本件土地建物の帰属者とかをめぐって、原告教会内に内紛を生じていたことは前認定のとおりであるが、松山が原告教会の代表役員等に選定任命され、これに就任することが、被告ら主張のように、原告教会と、その利害が相反する事実は認めがたいから、松山に対する選定任命がこの点で無効なものであるということはできない。

三、以上のとおり、津田は原告教会の代表役員等の代務者として、松山は原告教会の代表役員等としていずれも原告教会を代表する権限があるから、津田が原告教会の代表者として本件訴訟を提起し、その後松山が右訴訟手続を追行したのは正当であって、結局被告らの本案前の申立は理由がない。

(本訴請求について)

一、原告教会が本件土地建物を原告教会の拝殿、事務所およびその敷地等として使用している事実および請求原因一の(一)の事実はいずれも当事者間に争いがない。

二、≪証拠省略≫を総合すると、請求原因一、(三)の(1)ないし(3)および(四)の各事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

三、≪証拠省略≫を総合すると、請求原因一の(五)、(六)の各事実を認めることができ(る。)≪証拠判断省略≫

四、請求原因二の(一)、(二)の各事実は当事者間に争いがない。

五、以上認定説示の事実関係によると、本件土地建物は原告の所有に属しているものというべきところ、無権利者である寺内繁尾より岡村作次郎に対して所有権移転登記が経由され、現に同人の所有名義になっていることが明らかであるから、相続により同人の権利義務を承継した被告らは原告に対し、本件土地建物につき、真正な登記名義の回復を原因として所有権移転登記手続をなす義務がある。

(結論)

よって、原告の本訴請求は正当として認容し、訴訟費用の負担について民訴法八九条、九三条を適用し、なお仮執行の宣言は、これを付することができないので、その申立を却下することとし、主文のとおり判決する。

(裁判官 西内辰樹)

〈以下省略〉

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